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私たちのこと

ご縁の連鎖〜ドバイ→ソウル→有楽町→新宿→浦安→新横浜→新宿、そして調布へ No.488

北京チャンポン

先日のお休みの日、なんか無性に北京チャンポンが食べたくて川崎からわざわざ神田まで来ました。このお店は37年ほど前は有楽町にありました。今は神田駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
1985年当時、私は有楽町電気ビルに本社を構えていた韓国の現代(ヒュンダイ)グループの日本法人「現代ジャパン」で働いていて、韓国の商社や金融関係の駐在員がこのお店をよく利用していたことから、この北京チャンポンと出会いました(大袈裟)。見た目は激辛風ですが、実際の味はピリ辛程度です。麺も手打ちでもっちりもちもち🎵海鮮たっぷりでなかなかの出来です。
転職してからも銀座界隈に行くことがあると、ここでランチを食べていたのですが、入居していたビルが建て替えとなり、お店もなくなりました。

それが昨年、たまたま神田にお店があることを発見した時は、いやあ嬉しかったです❣️味も昔のままでした💖

シェラトン•グランデ•トーキョーベイ•ホテル

現代ジャパンで働いていた時の一番の思い出といえば、シェラトン•グランデ•トーキョーベイ•ホテル建設プロジェクトに関わったことです。
私は化学•建材部所属で、韓国のケミカル製品や建材を日本に輸入・販売する業務を担当していました。敷地面積は約5万平米、客室数は計1016室の巨大ホテルの建設プロジェクト、普通であれば韓国の商社に見積依頼の声さえかかるはずのないこの案件、人の縁の連鎖がつないでくれたんです。

ご縁の連鎖

ドバイからソウルへ
当時の私の上司カンさんは、現代グループの大手家具メーカー現代総合木材の課長で海外販売の担当をしていました。ある日、ドバイから日本人バイヤー佐藤さんが商談に駆け込んできました。佐藤さんは大成建設の社員で、ドバイのホテル用に発注していたドアが大幅な納期遅れとなったため、急遽アジア中を飛び回って納期に合わせてくれるメーカーを探していたのです。
無事に要望通り納品して、佐藤さんは大いに感謝していたそうです。

 

ソウルから有楽町、そして新宿へ
時は流れ、カン課長は現代総合商事に転籍、日本駐在員として現代ジャパンに着任、「化学•建材部」責任者として大手ゼネコンへの挨拶回りをしていました。大成建設(本社新宿)では海外調達室を紹介され挨拶に行くと、なんと部の責任者はあの佐藤さんだったのです!
ドバイのご縁で、海外調達室から沢山の引き合いをいただくことになったのですが、そんなある日カン課長が「Mr.チョウ(僕のこと)、海外調達室の佐藤さんから話があるというのでヒヤリングしてきてください」と指示を受けました。
ちなみに韓国の会社ではフルネームで呼び合います。なぜなら「金さ〜ん」と声をかけると何人もの金さんが振り向くから(笑)

 

新宿から浦安へ
佐藤室長「あのね、ここに行ってそちらの木工製品のプレゼンをしてきてください。現場の所長には話を通してありますから」
示されたのは浦安で建設中だったシェラトンホテルでした。1987年前後だったと思います。

 

カン課長と現代総合木材のカタログを手に現場に行くと、それはもう広大な敷地に何台もの大型クレーンが立ち並び、何千人という人たちがひしめき合うようにして作業していました。
事務所に行くと出てきたのは所長ではなく、物静かな雰囲気でありつつ、銀縁のメガネの奥で細い目から鋭い眼光を放つ市原副所長でした。「うへぇ、苦手なタイプ〜」(心の声)。
建築現場ですから、がらっぱちの凄みのある、大柄な人(完全な偏見ですねw)が出てくると思いきや、学者風の人だったので驚きました。所長は正反対、声が大きく、がらっぱち風〜僕のイメージにピッタリ(笑)。でも人伝に聞くと二人とも東大法学部卒とか。うーん、びっくりでした。

 

世界的なホテル、施工は大成建設、家具について日本では目立った実績がなかったので、それこそ喉から手が出るほど欲しい案件、本社一丸となって受注を目指しました。
結果、客室内の各種ホテル家具、ホテル内で使用されるブラス(真鍮)製品など多くの注文を請けることになりました!
そこから納品までは紆余曲折紆余曲折紆余曲折紆余曲折紆余曲折紆余曲折紆余曲折x1000でしたね〜
浦安から新横浜へ

 

そこからまた26年ほど時が過ぎて、私は今の会社、エコテック(のちにエコプロコートに転籍)で働くようになっていました。
ある日のこと、大成建設の部長にUVコーティングのプレゼンをさせてもらえることになり、久しぶりに新宿の大成建設本社に行くことになりました。
プレゼンの準備をしながら「市原副所長って人、居たなぁ。今もいるのかなぁ。偉くなってたりして」とネットで企業概要の役員紹介を見ると、代表取締役副社長に「市原」という名前が。
「え?いやぁ、そんな、まさか」でしょう、いくらなんでもです。それに下の名前を覚えていない(だって昔だもの〜)ので確認のしようがありません。
その話をたまたま近くいた外谷場(とやば)さんに話したところ、
外谷場「え?その人知ってるよ。東大法学部でしょ。学生時代、自分の叔父さんがやっているお好み焼き屋の常連だった人だもん」

いや、そんなにわかには信じ難いでしょ、いくらなんで。でも外谷場さんは間違い無いと。
ということで外谷場さんに市原さん宛の手紙を書いてもらい、プレゼンの際持っていくことにしました。話がうまくいったら手紙を渡すことにしたんです。結果、手紙を部長に渡しました。簡単に経緯を説明すると、部長さん、きょとーんとした顔付き。あ、よく分かります、お気持ち(笑)。

 

新横浜→新宿、そして調布へ

プレゼンから数日経過しました。「やっぱり人違いかなぁ」と思い始めたその頃、外谷場さんが「きたよ、秘書室から連絡。本社にきてくださいって」。それを聞いた時、不思議な縁に嬉しい気持ちがしました。よかったですね!行ってらっしゃい、と言うと外谷場さん「何言ってんですか、曺さんも一緒だって」。え??たった2、3回しか会っていないのに覚えていた??東大法学部、恐るべし!

もう本当に何十年ぶりかで市原さんと対面、相変わらず、銀縁のメガネの奥で細い目から鋭い眼光を放っていました。
いろいろ話が盛り上がり、久しぶりに調布の四国屋でお好み焼きをご一緒することになりました。
四国屋のご主人もそれはそれは懐かしんで嬉しそうでしたね。
市原副社長はもう引退されて、今はのんびりされているようです。
人のご縁、本当に不思議です。

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