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私たちのこと

UFOキャッチャーの思い出 その1 No.645

ぬいぐるみ屋さんだった頃

今から30年ほど前、私はキャラクターぬいぐるみや雑貨の貿易をしていました。それらは販促品用だったり、OEM(他社ブランドの受託生産)だったり、私たち自身がキャラクターのライセンスを取得(コカ・コーラは結構長い間、契約していました)して、そのキャラクターの製品企画を他社に提案(私たち自身が韓国や中国で委託生産・輸入していましたから、生産とセットの企画提案)していました。
当時はUFOキャッチャーが大ブームで、生産•輸入•営業を私、キャラクターを使った製品企画とデザイン制作、パッケージとUFOキャッチャーの中に貼るポスターのデザインは、私の奥様が担当、超家内工業(社長や他のスタッフもいましたが)でしたが、年間数億円の売り上げはあったと思います。

こんな製品、できないですかねー

当時のアミューズメント業界での一番のお客様はセガ・エンタープライゼス(現(株)SEGA)で、私たちが雑貨部分のライセンスを持っていたコカ・コーラの企画提案で取引がありました。ある日の製品企画会議後の雑談で、担当の課長さんが「くまのプーさん(アミューズメントではセガがディズニーのライセンスを持っていました)で木のカトラリーセットをやりたいんですよねー」と一言。

 

話を聞くとだいぶ前から企画はあったのですが、どうにもこうにも価格が合わない。いや、そりゃそうでしょ。写真のような商品、プラスチックならともかく本物の木でUFOキャッチャー用に生産するなんて・・・・と分かったのは、「いいですよ、サプライヤーを探しまょう」と安請け合いした後でした(笑)

中国国内ではサプライヤーが見つからず、最終的にはゴムの樹の産地=カトラリー製品の本場、タイでメーカーを見つけることができましたが、なんだかんだ1年以上かかってしまいました。今にして思うとあのメーカーが見つからなければ良かったのですが(笑)

数度のやり取りの後、いよいよ見本の試作をすることになり、工場の視察も兼ねて初めてタイに出張し現地で見本を確認することになりました。

 

Mr.エリック•スヴェンソン

サラダボウルLサイズとSサイズ、フォークとスプーンの構成で、本物のゴムの樹で作り、キャラクターデザインは焼印でつけることに!だって印刷できませんから。まぁ、プラスチックではないので研磨してできた製品には微妙に凹凸があるので、焼印がうまくつかなかったりかなり現地の人も苦労しました。

 

ある時、工場を視察していると身長180cm以上もある日本人風の人ととすれ違いました。お互い工場を逆方向から回っていたので最後に出口で会い、挨拶をすることになりました。Mr.エリック・スヴェンソンはタイをビジネスの拠点にアメリカとビジネスをしている日本人でした。その時は簡単に挨拶を交わし別れましたが、この一瞬の出会いが私を大いに助けてくれることになったんです。彼の名前はエリック・スヴェンソンと言います。

 

苦労して完成した製品はディズニーの監修を受けたのち、セガの展示会でたくさんの注文をいただくことができました。はっきりと覚えていないのですが3千万円以上だった記憶があります。

これ、先日の正月に奥様の家族の集まりに行った時に義理の妹の家で見つけたんです!!!本当はフォークとスプーンもあったのですが、残っていたのはこれだけでした。

Ms.チトラ•ナン•スリップ

いよいよ生産も決まったのですが、問題は生産管理をどうするか、です。最終検品では問題があった時間に合わないので、途中途中で生産管理をする必要があったのですが、その度に日本からいくわけにはいきません。これは当初から課題だったんです。生還開始は半年先ですから、それまでになんとか体制を整える必要があるのですが、とにかくタイは初めての地で知り合いが全くいません。

 

そんな折、工場ですれ違ったMr.スヴェンソンのことを思い出し、とにかく一度生産管理のことを頼んでみる、ダメなら他を紹介してもらおうとタイに出張した際、交換した名刺を頼りにアポイントをとり、彼のオフィスを訪問することになったのですが、行ってみびっくり、会ってたまげた!となりました。

 

彼の会社は年商100億前後、アメリカのウォルマート、Kマートなど当時の超大手小売チェーンがメインの顧客で、彼自身タイのハーレーダビットソン協会の会長を務めるような名士だったんです。「いやぁ、こりゃ検品の依頼なんて無理だなぁ・・・」とにかくこちらのプレゼン(どんな会社で何をしているか)をしつつ、製品の生産管理をしてくれる先を探していると説明しました。

じっと私の説明を聞いていたMr.スヴェンソンは「曺さんは英語ができますか?」との質問。まぁビジネス上の会話ならなんとかと答えると、 Ms.チトラ・ナン・スリップを呼んで引き合わせてくれました。彼女は生産管理のマネージャーで、彼女の下には20名以上の検品スタッフが毎日タイ中の工場を周り生産を見守っていたんです。

 

ああ、これで一安心と思ってタイを後にしたのですが、ここから苦難の旅が始まろうとは夢にも思いませんでした。
(続く)

 

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