スタッフ星山

ぶどう園の労働者~フロアコーティングのエコプロコート~

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皆様こんにちは!

エコプロコート 愛犬の床 営業の星山です。

 

本日は私の大好きなたとえ話をご紹介したいと思います。

学生時代にミッションスクールに通っていたというのもあり、私にとっては馴染みがあるのですが、

これは聖書のマタイの20章から抜粋したお話です。

 

 

 

 

ぶどう園の労働者のたとえ

 

ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。

主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 

 また、9時頃行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、

『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』

と言った。それで、その人たちは出かけていった。

 

 主人は12時頃と3時頃にまた出て行き、他の人々が立っていたので、

『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』

と尋ねると、 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』

と言った。主人は彼らに、

『あなたたちもぶどう園に行きなさい』

と言った。

 

 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、

『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』

と言った。そこで、5時頃雇われた人達が来て、1デナリオンずつ受け取った。

 

 

 最初に雇われた人達が来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。

しかし、彼らも1デナリオンずつであった。

 

それで、受け取ると、主人に不平を言った。

 

『最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

主人はその一人に答えた。

 

『友よ、あなたに不当なことはしていない。

あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。

わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。

自分のものを自分のしたいようにしては、

いけないのか。それとも、わたしの気前の良さをねたむのか。』

 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 

 

報酬の矛盾

 

謎が多いので、星山なりに解説したいと思います。

 

早朝から働いている人と、夕方からしか働いていない人が同じ報酬というのは、

何故⁈となりますよね。

 

さらに、報酬は最後に来た人から渡されるというオマケ付き。

 

 

次の日からぶどう園で早朝から働こうと思う人はいないでしょう。

 

 

しかし、、、このたとえに”明日”はありません。

 

 

解説

 

このたとえ話では、

夕方まで仕事がなく、

立ち尽くしていた人に視点が置かれています。

 

 

 

「だれも雇ってくれないのです」

 

 

様々な事情で「あぶれてしまった」

誰から必要とされなかった、残された人

 

 

 

この主人は、

ただただ、このあぶれてしまった最後の人にも、最初の人と同じように扱いたかっただけでした。

 

「働きたくても行き場所がない、

この後どこへ行けばいい、

今夜何を食べる、

明日どうやって生きる」

 

そんな強い孤独や不安に寄り添い、

助けたいという思いからの報酬でした。

 

 

 

でも、早朝から働いていた人の中で

誰1人として、この主人の思いを汲もうとする人はいません。

 

「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。

まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」

 

(自分たちは暑い中、日中我慢しながら一生懸命頑張ったのに、

あの連中は夕方涼しくなってきてからノコノコと来ただけじゃないか)

 

 

そんな不満をぶち撒ける働いていた人に対し、

主人は「友よ」と親しく声をかけています。

 

 

「最後の者にも、最初の者と同じように支払ってやりたいのだ」

 

 

 

「最後の者にも、最初の者と同じように支払ってやりたいのだ」

 

私はこのたとえ話を聞くたびに、自分がどの登場人物に当てはまるのかと

よく考えるのですが、

 

この早朝から働いていた先の者は、

まさしく私自身の象徴かもしれません。

 

 

頑張っているのに報われない〜

自分はこんなに苦労して働いてきた

私はあの人より長い時間がんばっている。

 

最初は自分の報酬に満足できていたとしても、

他人のそれを知れば、不思議と不満を抱きます。

もしくはその逆もあるかもしれません。

 

 

このたとえ話は、

今から約2000年以上前から語り継がれてきたお話です。

 

様々なツールも発達した今日ですが、

結局のところ人の本質は2000年経っても変わらないということだと私は思います。

 

 

「最後の者にも、最初の者と同じように支払ってやりたい」

 

 

2022年は、

良い意味で薄目で生きるをモットーにしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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